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2008/10/17

リチウム電池

  • リチウム電池の画像

オツムに電池でも埋め込みたいようなときがある(笑) 実際、炭酸リチウムは効果をもたらす。けっこうな副作用にうんざりさせられるとしてもだ。

小学生から中学にかけてむさぼり読んだ北杜夫。文中に「躁鬱病」という不思議な響きの言葉が繰り返し出てきたのを思い出す。病名を広く世に知らしめたしたという功績(笑)は、精神科医でもある本人も自認しているところ。とてもじゃないが、当然「鬱」のときには書けないはずだから、敢えて自らを茶化しなんともお気楽な病気という印象で語っていた。しかし、いざ自分が罹ってみると、その実はダッチロール、操縦不能の繰り返し、緊急事態の連続だ。とても笑い事じゃすまされねぇ。

今「メンタルヘルス」なる言葉がブームだ。何でも当たり障りのないカタカナにすることは、見事に物の本質を曖昧にする。だから健康な人が「俺もウツかも」なんて嗤ってる。精神科、脳神経内科は「メンタル・クリニック」。それで病が軽くなる訳でもあるまいに。因に躁鬱病の最近の正式病名は、'Mood Disorder' 「双極性感情障害」・・・

なんの病でもそうだろうが、その苦しみは当人にしか判らない。だから仕方のないことなのだらうけれど、それが今の世風なんだらうけれど・・・

私の場合「鬱」はいわゆる「憂鬱な気分」とは明らかに異なる。ただただ「とても嫌な感じ」がひたすらどこまでも果てしなく続くのだ。「沈殿」した澱みは焦燥感に突き動かされ、時に激しい怒りとして燃え上がる。そして不思議な事に、厄介な事に、それら両者は表裏一体なのだ。

その深層を表現する力量がないのが、なんとももどかしい。

起因は、過労やら人生の転換(それが良い事柄でさえ)であるという。人様々だろうが、私の場合は体の重篤な変調が前兆だった。その時には知る由もないのだが、いわば体による「同時多発テロ(9.11は自作自演だったらしいが)」。脳が悲鳴をあげていたのだ。しかしそのS.O.S信号を見逃さないことは普通の町医者では到底難しい。

よく「希死願望」というが、幸いにして私にはない。ただ、「茫然自失としていたらいつの間にか自殺してた」という場合はあったかもしれない。今思い返すだに恐ろしいが、「ふと気づいたらいつのまにか知らないホームにぼけっと立ちつくしてた」事。

基本的には鬱病が根底にあり、投薬治療中に「躁転」すると、あなたもめでたく「躁鬱」である。
躁転するとどうなるか。
全能感にひたり、至って幸せ。五感全てが光りに満ち溢れ、何事も愛おしい。本人がそう思っているだけなのが悲惨だが「頭は冴え渡る」。もう恐いもんなしっ! 仕事も遊びも、それいけどんどん、がしがしがし! ある程度判っちゃいる自分もいるのだが、勝手にいっちゃうんだもん、誰か止めてお願いだから(笑) しかし体は機械ではないから、はたまた壊れ、しまいにゃ「感情失禁」、いわば心のおもらし。激高したかとおもいきやすぐさま号泣・・・。事程左様に恐いのが、周囲に及ぼすはた迷惑。酷いと社会的信用失墜に至る。

やれやれ。


最近、こんな本に巡り会えたことを幸いに思う。
腑に落ちるとは、まさしくこの事だ。

"Be patient as being a patient."
('An Unquiet Mind: A Memoir of Moods and Madness' by Kay Redfield Jamison)
「臨床に携わるものの大部分と患者の多くが、『双極性感情障害』のほうが『躁うつ病』といわれるよりも汚名を着せられる感じがすくなくないとおもっているようだ。〜 だが、二つの疑問が起こる。『双極性』という用語はほんとうに医学的に正確なのか。また、ある状態の名称を変えることで、それが実際にずっと受け入れられやすいものになるのか。 〜 それは、躁病が根本的にはうつ病の極端な状態にすぎないのではないかという疑問を無視する。それはよくみられるものであり、臨床的にきわめて重要で、この特異な病気の多くの臨床理論上の問題の核心にある躁病とうつ病の混ざり合った症状の重大さを軽視する。」

訳者あとがきより抜粋
--
本書はジョンズ・ホプキンズ大学医学部教授ケイ・レッドフィールド・ジャミソンの自伝 AN UNQUIET MIND: A MEMOIR OF MOODS AND MADNESS の全訳である。躁うつ病の研究者、心理療法の専門家である著者ジャミソンは、自分自身、躁うつ病である。治療を行う立場にいる者が治療を必要とする者でもあるというパラドクス、この本はそのパラドクスを生きてきたことを公にするという著者の決断によって書かれた。〜 激変する気分のただなかで、「どの気持ちが私にとって本物なのか。どの私が私なのか」と彼女は問う。〜「生物学的なところから起こる病気であるにもかかわらず、その体験は心理的なものであるかのように受け止められる」躁うつ病の薬物療法に抵抗して多大な犠牲を払った歳月を振り返る。


松浪克文
東京大学医学部付属病院分院 神経科外来医長(ポキ註:1998年12月25日発刊当時)
解説より抜粋
--
躁うつ病の体験談や啓蒙書というと、つい十年ほど前までは、とくに単極性うつ病について「うつ病は必ず治る」などのやや楽観的にすぎる論調とともに、「いい人ほどうつ病になり易い」などの心理的側面が過度に強調された論調が流布していた。〜 本書はそのようなバランスのとれた視点から書かれた躁うつ病の体験談という性質を持っている。このことが著者ジャミソンに可能であったのは、彼女が生物学的な研究に携わってきたことに関係している。博士論文のテーマにヘロイン中毒を採り上げた筆者の自然科学者としての思考法が自分の感情体験を客観的に見ようとする姿勢を維持させ、この種の体験談にありがちな心理的いきさつ話に陥ることを防いでいるからである。


 ”You Haven't Done Nothin”
 "Sometimes I'm Happy"


参考:ある御方からお教え頂いた
http://square.umin.ac.jp/tadafumi/...

コメント(16)

2008/10/18

松下 邦夫 脳の構造が粗野に出来ているので、非常に理解しづらいところのある記事ですね。私の場合「常躁」と言われても仕方ないなと思っているとところ。それは躁ととっぴな質問ですがポキさん寝起きの体温何度くらいありますか。朝10時の体温何度くらいありますか。そこのところ興味があります。

Poughkeepsie はっは、「常躁」こりゃいいや。それは躁と、体温計持参でカイシャで計りご報告いたします(笑)

2008/10/19

もえぎ  こういった病 私は プラス瘤 だと思っています。

Poughkeepsie ほほぅ、聞き慣れない語彙、調べてみます。

2009/02/25

Poughkeepsie うつ病治療 常識が変わるを観た。まだ今程「ブーム」でなかった1999年頃放映の「クローズアップ現代」で、その約一年前からの自身の変調の原因が判った。そして今回私はとても幸運だった事を改めて思い知る。なぜなら学生時代の友人が大学病院で精神科医になっていたから。早速電話したらその日の晩仕事が引けた仕事場に「往診」に駆けつけてくれた。一瞥するなり「(顔に)表情が無い」と即居酒屋で診察(笑)。今回放映されたように「専門知識が無くても医師免許さえあれば誰でも精神医・メンタルクリニックを標榜できる」などという厚労省の怠慢や、それに乗じて薬を押し込み金儲けに走る製薬会社のプロパー達の餌食にならずにすんだのだ。もっとも今も浮いたり沈んだりの躁鬱病が緩解した訳でもなく、水戸黄門のテーマソングじゃないけど「後から来た〜のにぃ追〜い越され〜♬」な悲哀の毎日だが、とりあえずカイシャに通い収入を得て生活できているのを佳しとしなければならないと頭では判っているつもりだった。何の病でもそうだろうが好きで薬を服用している人はいないはず。とくにこの手の病の場合なにかとても後ろめたい感じだ。同じ身体の薬なのに脳というだけで。人がその薬(ぼかしてあったが何かはすぐ判った、服用してきた薬達だから)口に押し込むように飲む姿・・・もうとっくに慣れているはずの私にもやはり無意識に動揺を与えた。その晩さっそく深夜覚醒だぜ、やれやれ。この放映に出演した、38歳で会社を止めざるをえなくなり「もう人間としては終わっている。ただまだ死んではいないだけ」とベッドに臥しながら語っていた彼が、酷いクリニックから大学病院に転院・入院し、快方への足掛かりが見え始める。で、「とりあえず(就職活動の為にも)剃らないと」と無精髭を剃り上げ、ふと横目で鏡に写った自身の姿を見たときの彼の「表情のある」はにかんだようなちょっと自分の姿に驚いたような絵が忘れられない。正直涙が出そうになったぜ。

Poughkeepsie 解せない部分もあった。「うつ病学会」の先生がいっていた「TVにばかり出ている医者が良い医者とは限らない」確かに。事実、わらをもすがる思いで有名な医者に罹ったら「あなたの抱えている離婚問題の答を出して一週間後に来なさい」とか「うつ病患者は大人しく文句を言わないからね」と暴言を吐く医者などなど。また、取材を受けてた虎ノ門のメンタルクリニック、たいそう繁盛のご様子。しかし医院長は患者をさばくため問診をカウンセラー(民間資格)にまかせグループセラピーを行っている。一見良さそうだが、現に取り上げられていた患者は躁転したのに気づくのに遅れ、おっとり刀で処方変更。医院長曰く「うつと双極性感情障害(躁鬱)の見分けは難しいですから」と宣った。「躁鬱があたかも新らしいタイプ」のうつと番組でも誤解していたが大きな嘘で大昔から判っている。その医院長が単に患者に目がいってなかっただけの話だ。

2009/02/26

Poughkeepsie それにしても常に頭のどこかにあるのが「解放されたい」”a sense feeling of release”とでも言うのか。無論「馬鹿は死ななきゃ治らん」訳だが死ぬ前に解放されたいのも人情というもの・・・

2009/04/11

Poughkeepsie お年を召されましたな北杜夫、母と同い年だったか・・・>http://sankei.jp.msn.com/life/body/... 躁のときのクレジットカードの引き落としといったら・・・、自制しているつもりでも恐いものがある。その頃は大抵、もう鬱に沈殿しているだけに。

松下 邦夫 やはり頭の構造ですな。私なんざ~恥ずかしながら自分を責めた覚え・・・ござん船。 常躁のゆえんですな。

2009/04/13

Poughkeepsie ありがとうございます。Himajinさん、岡山にお邪魔している時「が」わたしの軽い躁状態なのです(お会いでき楽しい一時なのだから有り難いのですが/笑) もえぎさん、ご子息のお話・・・ご本人ご家族ともさぞお辛いことでしょう。私もカイシャへでなきゃ喰ってけないので無理矢理行ってます。が、調子の悪い最近はいい歳こいて「週末引きこもり」。躁のときは糸の切れた凧みたいなくせに・・・ なんともuncontrollableなオツムです。先にリンクした文献の以下のような境地にはなかなか・・・「一生薬を飲むというのは、誰にとっても受け入れがたいことです。しかし、それを受け入れない限り、患者さんが社会的ハンディキャップを背負うことを予防できません。〜 納得しても今度は、一生治療を続けなければならないほどの病気になってしまった、と落ち込んだり、自己否定したりします。その時期を通り越して始めて、病気とつきあいながら暮らしていこうという境地に至るのです。」

2009/08/28

涙腺子 え~ッ まことにpoughkeepsie氏の自己分析は正鵠を射ているように思われますが、我が身に照らしてオモンバカッテみると、自分で自分が今何を考え何をしようとしているのか、そしてそれが果たしてこれまでの自己行動の判断基準に照らしてみて正しいのか或いはそうでないのかが、或る日突然ワカラナクなってしまうような状況に陥るのでございますね。私の場合は、モノカキとしての自己表現の方法とか主張すべき事柄の優先順位とか、そういうものすべての座標軸が失われ、真夜中の海中で上下左右の方向感覚すべてが失われてゆくような状態でしょうか。「私」はこれまでもそうであったようにいつまでも「私」であり続けると思っていたのに、何やら今ここにいるのは本当の私であるのかどうか判らなくなってしまう。鬱とか躁とか言われる前に、もう一人の「私」と向き合うことがつらくなる。敵は我が体内・脳内に在りと戦いを挑んでも、それは悪性腫瘍に抗癌剤を投与するようなもので、それは同時に己の体力・気力を著しく奪い取ってゆく両刃の剣のような自己破壊の道程をまっしぐらに突き進むこと(作業)だったのではないか。突き詰めれば突き詰めるほど、人と話をしている私がウソに思え、電話に出る私の声がわざとらしく感じられ、人ごみの中を行き交う人々の歩く姿が目に映る自分がイヤになる・・・。「双曲性」というのも個人的には異論がありまして、私個人としては「東西南北4極性」とか「鬼門や裏鬼門を含めた十二支性」感情障害のほうが相応しいと思われ、二つの波が上になったり下になったりと云うだけでは整理できないメカニズムが内在するのではないかと感じられるのでございます。薬の服用を始めて一年以上になりますが、何はともあれ良く眠ること。余計なことは考えないこと。阿呆は阿呆のままで(つまりはこれまで通りに)生きて行くのだと悟ること。やりたくないことは死んでもやらないこと。死にたいと思ったら、その前に「うら若き麗人」の尻でも撫でて、思いっきり頬っぺたをひっぱたかれること。フムフム、こんなところで如何でございましょうか(笑)

Poughkeepsie ワタクシ「鬼門や裏鬼門を含めた十二支性」感情障害論に、清き一票を投ずるものでありますっ(笑)よく文献では正弦曲線で単純化されてますが、涙腺子さんがいわれるような「せめぎ合い」がオツムの中で起きてる訳ですものね。でもしかしですよ、判ってるくせに今だにふと思うのです、合法ドラッグ(違)を飲み下す度に「これって・・・」。今回この5月くらいから続いた(結構長い)私の躁もお会いした後辺りからどーも落ち着き始めた様子です。何故か?眠剤を半減以下に調整しても深夜覚醒がない。実に有り難いのですが、これまた落っこちてもコマリモノ。

2009/12/13

Poughkeepsie 夏から9月頃迄続いた躁も秋には低空飛行へ。さらには12月最悪のダチロール飛行へ。主治医は抗欝剤の増量は「躁転」が怖いのでこのスタビライザーのリチウム電池1.5倍に。10日経過しきっかり効きはじめる。もっともお裏腹に最低限の眠剤で眠れてたのが、眠剤バカスカ飲んでもは早朝覚醒、ヤレヤレ(嘆息)

2010/07/10

Poughkeepsie 年に一度の健診で、腎臓の値が悪化し以前から高かった尿酸値も異常に高いとの結果。問診医は食事療法を心がけ一ヶ月後にもう一度採血をということに。その夕方、月に一度のいつもの受診。結果を見て主治医曰く「あー、ついに頼みの綱のリーマス(炭酸リチウム薬の商標名)が使えなくなったか・・・」と。典型的だが多くはない副作用らしい。伝家の宝刀、リチウム電池とはおさらばだ。明日はどっちだっ!ョ

2010/07/13

松下 邦夫 抗鬱病はよく研究されていい薬(よく効く)が出ているそうですが、98年当時より欝患者3倍も増えて来ていると聞きます、やはり世相の所為でしょうね。いい薬が出てこの病が増えるということは実質、裏患者10倍増とか。政治の影響も大でしょう。

2012/12/11

Poughkeepsie 今は亡き北杜夫の「どくとるマンボウ医局記」1995年発行より、抜粋 -- 斎藤茂吉も医局時代に患者に自殺されて、次のような歌を詠んだ。 自殺せし狂者の棺のうしろより眩暈して行けり道に入日あかく 泣きながすわれの涙の黄なりとも人に知らゆな悲しきなれば 鴉らはねむりて居たるらむ狂人の自殺果てにけるはや 死なねばならぬ命まもりて看護婦はしろき火かかぐ狂院のよるに --

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